川反観音・五丁目橋
明治元年7月4日。仙台藩使節 志茂又左衛門以下11名を秋田藩が殺害し6名の首を五丁目橋に晒した。
この事件が秋田藩の奥羽戦争の導火線となる。
この時、生命を落とした仙台藩士の供養の為この地に観音像が建てられた。
台座には「秋田戊辰の役に先立つ慶応4年7月4日 この地に殉難した仙台藩士の供養と川反をこよなく愛した先人の慰霊として建立す」と記されている。
住所 秋田県秋田市大町5丁目1−27
川反観音
川反観音
五丁目橋
五丁目橋