刈谷城大手門跡

刈谷城の大手門跡地。
慶応4年(1868年)幕府か西軍どちらに付くか藩論が対立していたが尾張藩が西軍と決した事を知り、刈谷藩も西軍に付く事を2月4日に決定し、2月5日に発表する事となった。
しかし、西軍に付く事を知らない勤王派の倉田桂太郎らが同日2月4日に大手門外で待ち伏せし多米新左衛門、津田源右衛門、黒田彦左衛門の3家老を暗殺する事件が起きた。

住所 愛知県刈谷市城町1丁目25−1
地図
大手門跡 大手門跡