西南戦争官軍本営跡
ここ市役所本館の敷地は幕末には薩摩藩の米蔵があった場所です。明治10年(1877年)に起こった西南戦争の際には官軍の本営がおかれました。
明治10年(1877年)9月1日、熊本、宮崎など各地で敗戦した薩軍が鹿児島に突入し市街地をほぼ制圧。
官軍はこの本営を守るだけとなりましたが、9月3日には官軍が増援され形勢を逆転、城山周辺の薩軍前方部隊を駆逐しました。
反撃に出た薩軍は9月4日、貴島清率いる決死隊が米蔵を夜襲。しかし、急きょ駆け付けた三好重臣少将率いる第二旅団に阻まれ、貴島以下決死隊は一掃されました。
その後官軍は9月6日、城山包囲網を完成させ9月24日の官軍総攻撃によって西南戦争は終結を迎えました。
西南戦争後、この米蔵跡には鹿児島授産学校や煙草専売公社工場などが設立されましたが、後に市の用地となり昭和12年に現在の鹿児島市役所本館が完成しました。
【現地案内板より】
住所 鹿児島県鹿児島市山下町11−1
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明治十年戦役官軍屯営跡 |
西南戦争官軍本営跡 案内 |
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西南戦争官軍本営跡 |
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