廓信寺

河西祐之介・・・丸亀藩浪人。
万延元年(1860年)下総国津の宮の沖合の船中で水戸藩士 宮本左一朗と口論となり斬り殺した。
文久4年(1864年)1月23日、宮本左一朗の息子 宮本鹿太郎に仇討ちにあい、
幕末最後の仇討ちとなった。

小泉蘭斎・・・儒学者。教育者。
小泉蘭斎は文化8年(1810年)三上藩(滋賀県)藩士の子として江戸に生れ、38歳のとき藩を辞し別所村(現浦和市)に移り寺小屋を開いた。
当時の浦和県が浦和宿本陣に郷学校を開くにあたり石川直中校長のもとに蘭斎も招かれ、その教師となった。
浦和郷学校は明治4年2月、玉蔵院を校舎として正式に開校したが蘭斎は翌5年5月13日、病没した。
明治10年、教え子たちが拠金して、ここ廓信寺に墓碑を建て香華料を託した。
この碑は背面に蘭斎の事歴を刻んでおり、浦和の近代教育の歴史を知る資料として欠く事の出来ないものである。
【現地案内板より】

住所 埼玉県さいたま市浦和区北浦和3丁目15−22
地図
河西祐之介 河西祐之介
小泉蘭斎 小泉蘭斎
小泉蘭斎 案内 廓信寺