寿仙寺

金子与三郎の墓
金子与三郎・・・上山藩参政 慶応3年(1867年)12月25日東京三田薩摩藩邸焼討を指揮していた際に傷を負い翌26日に死去。
清河八郎暗殺事件の直前に金子与三郎宅を訪れていた事で名を残す。金子与三郎は公武合体論者の為に清川暗殺に関して諸説あり。

住所 山形県上山市鶴脛町2丁目13−1
地図
金子与三郎 金子与三郎 右面
金子与三郎 寿仙寺