城宝寺

渡辺崋山・・・田原藩家老。画家。
田原藩士 渡辺定通の長男として江戸の田原藩邸で誕生。家は貧窮し幼少期から絵を売って家計を助ける。
寛政12年(1800年)田原藩8代藩主 三宅康友の嫡男亀吉の伽役を命じられる。文化2年(1805年)田原藩家老を隠居した鷹見星皐から儒学を学ぶ。
文化3年(1806年)三宅康友の嫡男元吉(後の9代藩主 康和)の伽役となる。
文化5年(1808年)絵師の白川芝山に入門するが授業料が払えず破門となり文化6年(1809年)絵師 金子金陵に入門し、金子の師である谷文晁からも教えを受ける。
文化7年(1810年)昌平坂学問所に入学する。文政7年(1824年)父の死により家督を継ぐ。天保3年(1832年)家老に就任。
天保8年(1837年) 学者等が集う尚歯会に参加し中心人物として各種問題を議論する。
天保9年(1838年) モリソン号事件を受け「慎機論」を執筆するが家老としての立場をはばかり提出せず放置。
天保10年(1839年)蛮社の獄で家宅捜索され未提出の「慎機論」を発見され5月14日に牢入り12月18日に田原蟄居となる。
天保11年(1840年)1月20日に田原へ着き2月12日から池ノ原で幽居。天保12年(1841年)10月11日に自刃する。
寛政5年(1793年)9月16日誕生。天保12年(1841年)10月11日死去。

渡辺小崋・・・田原藩家老。画家。
渡辺崋山の次男として江戸の田原藩邸で誕生。天保11年(1840年)蛮社の獄で蟄居処分を受けた父 崋山と共に蟄居生活を送る。
藩校成章館で学び、弘化4年(1847)崋山門下で南画家 福田半香の勧めで江戸に出て、崋山門下の椿椿山の画塾琢華堂に入門する。
嘉永4年(1851年)三宅康寧の伽役を命じられる。安政3年(1856年)兄 立が亡くなり家督を相続。元治元年(1864年)家老に就任。
明治維新後、田原藩参事となり明治7年(1874年)以降は画家として数々の博覧会に絵画を出品し様々な賞を受ける。
天保6年(1835年)1月7日誕生。明治20年(1887年)12月29日死去。

住所 愛知県田原市田原町稗田50
地図
渡辺崋山 渡辺崋山の妻 たか
渡辺小崋 渡辺小崋の妻 すまこ
渡辺崋山の母 おえい 渡辺崋山の碑
渡辺家墓所 墓所案内
城宝寺