常円寺
筒井 政憲・・・幕臣。 久世広景の三男。寛政10年(1798年)筒井左膳の養子となる。文化9年(1812年)西丸徒頭、のち二丸目付、文化12年(1815年)目付。
文化14年(1817年)長崎奉行に抜擢され、文政4年(1821年)から南町奉行を異例ともいえる20年務める。天保12年(1841年)西丸留守居に左遷となり、
弘化2年(1845年)学問所御儒役、弘化4年(1847年)西丸留守居、嘉永6年(1853年)大目付格交渉全権代表としてロシア使節プチャーチンと交渉。
安政元年(1854年)槍奉行を兼任。安政元年(1854年)10月15日にロシア使節プチャーチンが下田に来航、再度、交渉代表となる。
安政2年(1855年)日露和親条約を締結する。
安永7年(1778年)5月21日生誕。安政6年(1859年)6月8日死去。
墓は風化が激しく読み取る事が出来ないが、墓前には南町奉行所与力 蜂屋新五郎が安政6年に建てた石塔が建っている。
住所 東京都新宿区西新宿7丁目12−5
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筒井政憲 |
筒井政憲 |
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石塔 |
石塔 裏面 |
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筒井政憲 案内 |
常円寺 |
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