祝町向洲台場跡
水戸藩第9代藩主徳川斉昭(烈公)は天保11年(1840年)に帰国したとき、那珂湊の砲台のみでは海防が不十分と考え、対岸の祝町へも砲台を建築することを意図した。
ただちに実施されなかったが、ペリー来航後の安政2年(1855年)4月に縄張りが行われた。
その後藩内の事情もあって、砲台築造は文久3年(1863年)7月頃から始められ翌元治元年(1864年)の天狗党の乱では、この砲台から大砲が発射されている。
明治期までは、砲台の姿がよく保存されていた。
【現地案内板より】
住所 茨城県東茨城郡大洗町磯浜町8179
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祝町向洲台場跡 案内 |
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