伊藤祐亨誕生地
伊藤祐亨が天保14年(1843年)5月12日誕生した地。清水小学校と稲荷川脇の2か所に碑が建てられている。
伊藤祐亨・・・薩摩藩士。海軍軍人。
文久3年(1863年)の薩英戦争では祇園之洲砲台を守り、スイカ売り決死隊に参加。江戸に出て江川英龍に洋式砲術、海軍操練所では航海術を学ぶ。
慶応3年(1867年)薩摩藩邸焼討事件で江戸から脱出し、慶応4年(1868年)戊辰戦争では海軍に所属し各地を転戦。
明治維新後は海軍に入り明治4年に海軍大尉に任官。明治10年の西南戦争では「高尾丸」「日清」の艦長として政府軍として参戦。
海軍大学校校長などを務め明治27年の日清戦争では初代連合艦隊司令長官となる。その後、軍令部長などを務め明治31年に海軍大将となる。
明治37年の日露戦争では軍令部長となり、終戦後に元帥に任じられる。
天保14年(1843年)5月12日誕生。大正3年1月16日死去。
住所 鹿児島県鹿児島市清水町8−15(清水小学校)
鹿児島県鹿児島市清水町1−1(稲荷川脇)
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伊藤祐亨誕生地(清水小学校) |
伊藤祐亨 案内(清水小学校) |
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伊藤祐亨誕生地(稲荷川脇) |
伊藤祐亨誕生地(稲荷川脇) |
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