稲葉正邦の墓
淀藩12代藩主。京都所司代、老中などを歴任する。鳥羽伏見の戦いでは稲葉正邦は江戸におり、藩主である稲葉正邦が知らぬ間に藩が恭順してしまう。
明治31年7月15日死去。
墓所内に建つ稲葉家継承碑によると、
文久三年京都守護職であった会津藩主松平容保と所司代であった淀藩主稲葉正邦は公武合体派として世に言う禁門の政変を戦った。両家は縁戚関係となっており稲葉家は十九代で継承する実子がなく、この墓地は平成十六年以降松平家と共同使用となっている。
住所 東京都港区南青山2丁目32-2 青山霊園1種イ13-28