市来四郎屋敷跡
市来四郎が20歳頃まで住んでいた地。
市来四郎・・・薩摩藩士。歴史学者。
西洋帆船「(初代)以呂波丸」を建造した寺師正容の二男として生まれ市来家の養子となる。
高島流砲術などを修めて薩摩藩11代藩主 島津斉彬に認められ側近となり、集成館事業では反射炉の建造などに携わる。
安政4年(1857年)に島津斉彬の銀板写真を撮影し日本寺として初めて写真を撮った人物となる。
島津斉彬の死後は島津久光の側近となり集成館事業を管理し兵器の製造などを担当する。文久3年(1863年)薩英戦争後は長崎で軍艦や兵器の購買を担当する。
明治維新後は島津家編輯所編纂員として薩摩藩、島津家の史料を編修し、史談会にも参加している。
文政11年(1829年)12月24日誕生。明治36年2月21日死去。
住所 鹿児島県鹿児島市稲荷町15
|
市来四郎屋敷跡 |
市来四郎屋敷跡 |
|
|
|