伊庭貞剛生家跡

伊庭貞剛の生家跡地で現在は「いばecoひろば」として公園となっている。

伊庭貞剛・・・西川吉輔門人。実業家。伯太藩代官 伊庭正人の長男。文久元年(1861年)児島一郎の道場に通い剣術を学ぶ。
        文久3年(1863年)西川吉輔の家塾「帰正館」に入門し国学を学び尊王思想を学ぶ。
        明治元年に朝廷に呼ばれて上洛した西川吉輔に招かれて上洛し京都御所警備隊士に所属。
        その後は新政府の役人として京都御留守刑法官少監察、弾正台巡察局京都支部、権大巡察、司法少検事、函館裁判所副判事、
        大阪上等裁判所判事を歴任するも明治政府の方針に失望し辞職。
        叔父の住友総領事 広瀬宰平の勧めで明治12年に住友に入社。住友財閥の基礎を作り上げ明治33年に住友総理事となる。
        弘化4年(1847年)2月19日誕生。大正15年10月22日死去。

住所 滋賀県近江八幡市西宿町133 周辺
    地図
伊庭貞庭剛生家跡 伊庭貞剛生家跡
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伊庭邸図面 伊庭貞剛 案内