本誓寺・東楽寺跡

相良藤次 ・・・加治木島津家家臣。旧名 岩崎千吉。嘉永2年(1849年)お由羅騒動が起こり身の危険を感じ葛城彦一と筑前藩 黒田長溥の元へ身を寄せ島津斉彬藩主就任への助力を請う。
         文久3年(1863年)許され加治木に戻る。元治元年(1864年)加治木島津家10代当主の姉であり、島津斉彬の養子 貞姫が近衛忠房の嫁ぐことになり付き人して葛城彦一と共に京都へ上る。
         明治5年宮崎県都城市の母智丘神社の宮司となり、明治13年に加治木に戻る。
         文化13年(1816年)3月28日誕生。明治16年10月8日死去。
川畑道仁 ・・・鋳物師。集成館事業の参加し、江戸から招いた道也に師事し技術を学ぶ。19歳の時に道也に従い江戸に留学し技術を高める。
         帰郷後に島津忠義から二人扶持三石六斗を受け磯の島津邸で鋳物の製作に従事する。廃藩後の明治4年に加治木に戻り加治木にて製作をおこなう。
         天保7年(1836年)10月誕生。明治25年5月12日死去。
刀匠墓・・・江戸時代後期に加治木では竹廻間家から池系と呼ばれる刀工がでて活躍した。

住所 鹿児島県姶良市加治木町反土52−4
    地図
相良藤次 相良藤次
相良藤次 案内
川畑道仁 川畑道仁
川畑道仁 案内
刀匠墓 刀匠墓 案内