本光寺

深溝松平家の領地ではなくなっていたが、当主(藩主)は本光寺に埋葬を続けられた。

松平忠精・・・島原藩主。深溝松平家15代当主。
先々代藩主 松平忠侯の四男として誕生。弘化4年(1847年) 兄で先代藩主の松平忠誠が死去し、養子となり家督相続。
弘化4年(1847年)12月、年貢増徴政策により百姓の不満が高まり、平松かぶり一揆が発生。 以後、貧農救済に力を入れる。嘉永2年(1849年)シーボルトの弟子 賀来佐一郎を招聘し種痘を実施。
天保3年(1832年)6月17日誕生。安政6年(1859年)6月28日死去。

松平忠淳・・・島原藩主。深溝松平家16代当主。
宇和島藩7代藩主 伊達宗紀の五男として誕生。15代当主 松平忠精が死去した為、養子となり島原藩主を継ぐ。
天保12年(1841年)7月20日誕生。万延元年(1860年)6月2日死去。

松平忠愛・・・島原藩主。深溝松平家17代当主。
深溝松平家13代 松平忠侯の弟である松平忠篤の長男として誕生。万延元年(1860年)16代当主 松平忠淳が嗣子なく死去した為、15代当主 松平忠精の娘 狡子と婚約し養子となって家督相続。
文久2年(1862年) 参勤交代で江戸へ向かう途中、長州領内で麻疹に罹患。江戸到着後に再び高熱を発し死去。
弘化2年(1845年)8月15日誕生。文久2年(1862年)閏8月2日死去。

松平忠和・・・島原藩主。深溝松平家18代当主。
水戸藩9代藩主 徳川斉昭の十六男として誕生。文久2年(1862年)17代当主 松平忠愛が急死した為、養子となり家督を継ぐ。
元治元年(1864年)第一次長州征討に幕府方として参加。慶応2年(1866年) 第二次長州征討にも参加。慶応4年(1868年)戊辰戦争では新政府に恭順し秋田、盛岡方面へ島原藩兵は出兵。
明治2年(1869年)6月、版籍奉還により島原藩知事となる。明治4年(1871年)7月、廃藩置県で知藩事を免官後に東京へ移り、明治6年(1873年)10月まで欧米視察に渡航。
明治7年(1874年)東照宮宮司に就任。明治27年(1894年)忠和が旧家臣に監禁されたと長男 忠威が裁判所に訴えた松平家私擅監禁事件が起きる。
嘉永4年(1851年)2月12日誕生。大正6年(1917年)6月8日死去。

住所 愛知県額田郡幸田町深溝内山17
地図
松平忠精 松平忠淳
松平忠愛 松平忠和
深溝松平家 墓所 深溝松平家 墓所
島原藩主深溝松平家墓所 案内 深溝松平家 案内
本光寺 本光寺 境内図