本多庸一
本多庸一・・・弘前藩士。牧師。教育者。
弘前藩士 本多八郎左衛門久元の長男として誕生。藩校稽古館で学ぶ。
慶応4年(1868年)6月、戊辰戦争で弘前藩は奥羽越列藩同盟に参加していたが官軍側に寝返る事となり、本多庸一は庄内藩に加わり秋田戦争に従軍。
庄内藩降伏後、帰国を許され明治2年(1869年)弘前藩参謀として箱館戦争に従軍。維新後は横浜で英語を学んでバラ塾・ブラウン塾に入り受洗してキリスト者となる。
明治4年(1872年)帰郷して東奥義塾塾長と兼て弘前教会初代牧師を務める。自由民権運動に関わり初代青森県会議長となり、のち米国留学で神学を学ぶ。
帰国後は東京英和学校校主、青山学院第2代院長として教育基盤を築き、福音同盟会会長として教会論争に関わる。
明治40年(1907年)に日本メソヂスト教会を創設して初代監督となり、日本独自の宣教組織を確立し、三教会同にも参加して宗教協議に尽力し、長崎市で客死した。
嘉永元年(1848年)12月13日誕生。明治45年(1912年)3月26日死去。
住所 東京都府中市多磨町4丁目628 多磨霊園 4区1種35側1番
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