人切場

人切場(別名 首切り塚)で罪人が処刑されたのは、慶応4年(1868年)戊辰戦争中の事。
秋田藩兵は督軍 上田雄一の指図によって百宅近くの山中要所に土塁を築き、庄内藩の来襲に備える策を取っていた。
秋田藩兵は秋田の獄舎から盗賊親分 屋敷弥太郎と部下の2名の罪人を連行し、秋田藩兵500余名の見守る中、出陣の血祭にと3名の首を切った。
盗賊の部下2名は泣いて許しを請うたが、親分である屋敷弥太郎は出された酒をたらふく飲み、赤飯を腹いっぱい食べて後、「幾万と盗みし金は身につかぬ 身につく金は今日の一太刀」と辞世の句を声高らかに叫んで処刑された。

住所 秋田県由利本荘市鳥海町百宅 周辺
地図
人切場 人切場
人切場