菱田海鴎居跡
この地は、明治維新の際に大垣藩老小原鉄心と共に勤王か佐幕かで紛糾する藩論を勤王に統一した菱田海鷗の邸宅跡で、
かつては高欄を廻らした高殿や蓮池を配置した風流の意匠を凝らしたものであった。
慶応4年(1868年)鳥羽伏見の戦いにおいて、鉄心の子兵部が幕軍に属したため、海鷗は鉄心の命により兵部に順逆を諭しに行く途中、
長州藩兵に捕えられ、まさに斬られようとしたとき、絶命の詩を賦して死を免れ、その後鉄心と共に大垣藩を勤王方に導いた。
【現地案内板より】
住所 岐阜県大垣市久瀬川町6丁目146(薬王寺)
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菱田海鴎居跡 |
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菱田海鴎居跡 案内 |
菱田海鴎居跡 案内 |
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