広沢真臣墓所
広沢真臣・・・長州藩士。政治家。
長州藩士 柏村安利の四男として生まれ、波多野直忠の婿養子となり波多野金吾と名乗る。のちに広沢藤右衛門と称し兵助のち真臣と改名。
長州藩校明倫館で学ぶ。尊王攘夷派として京都藩邸で尽力し慶応元年(1865年)政権闘争で正義派が勝利し中間派であった広沢も藩政に参加する。
薩摩藩、広島藩、幕府、海援隊などとの交渉を担当し倒幕運動の中心人物として活動した。
慶応4年(1868年)1月3日に新政府参与に任命され、のち東征大総督府参謀、京都府御用掛、民部官副知事、参議など新政府要職を歴任する。
明治4年(1871年)1月9日、自宅で宴会後に妾と寝ている所を何者かに暗殺された。
天保4年(1834年)12月29日誕生。明治4年(1871年)1月9日死去。
住所 東京都世田谷区若林4丁目35−3
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広沢真臣 |
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