遍照院
近藤坦平・・・医師。
三河国碧海郡鷲塚村で医師 近藤安中の子として誕生。文久2年(1862年)江戸に行き9月14日に松本良順に入門し、併せて9月22日に医学所に入門。
元治元年(1864)長崎に向い精得館でボードウィンに師事。慶応4年(1868)父 安中の命で帰郷。明治3年(1870)菊間藩大浜陣屋より菊間藩管轄二等医を拝命。
明治5年(1872年)洋々堂を開設し診療を開始し、医学校蜜蜂義塾を開校する。また大浜陣屋内に近隣5村医師で協療社を創立。
明治6年(1873年)愛知県病院の創立に関わる。 明治12年(1879年)第1回愛知県会議員選挙に当選し初代副議長に就任。
明治15年(1882年)愛知医学校が充実した事から200名以上の医師を育てた蜜蜂義塾を廃止する。
明治22年(1889年)鷲塚村が発足し初代村会議員に当選。明治40年(1907年)8月に碧海郡医師会設立され評議員を務める。
明治42年(1909年)愛知県医師会設立され副議長を務める。
天保15年(1844年)3月12日誕生。昭和4年(1929年)1月27日死去。
近藤安中・・・近藤坦平の父。医師。
文政13年(1830年)紀伊国の華岡青洲の春林軒に入門。天保4年(1833年)帰郷し家督を継ぐ。
文化7年(1810年)9月5日誕生。明治25年(1892年)2月17日死去。
近藤多田子・・・近藤坦平の妻。岡崎の蘭方医 宇都野龍碩の長女。
近藤賛斎・・・字は伯琴。近藤坦平の祖父。賛斎から近藤家は医師となった。
住所 愛知県碧南市鷲林町2丁目13
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近藤坦平 |
近藤多田子 |
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| 近藤安中 |
近藤安中 右面 |
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| 近藤賛斎 |
近藤賛斎 右面 |
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| 近藤家墓所 |
遍照院 |
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