八田知紀誕生地
明治の宮廷歌人といわれた八田知紀(喜左衛門)は、寛政11(1799)年ここ西田村に生まれ、幼名を彦太郎、号を「桃岡」といいました。
文政8(1825)年、京都薩摩藩邸の留守居役となりましたが、桂園派の歌人香川景樹に歌道を学び、熊谷直好と共に同門の逸材といわれました。
著書には「桃岡雑記」「吉野紀行」など10余種があります。明治になると宮内省の歌道御用掛に選ばれて活躍しました。
門弟の育成にも努め、明治旧歌壇の中心人物となった高崎正風、黒田清綱らを育てました。
知紀の作品「竹」は絵・書・歌それぞれの立場から貴重な墨跡として、昭和49年市の指定文化財となり市立美術館に収められています。
また「吉野山霞の奥は知らねども見ゆる限りは桜なりけり」は知紀の歌です。
【現地案内板より】
住所 鹿児島県鹿児島市常盤2丁目17−32