御殿場休憩所
文久元年(1861年)皇女和宮の行列が中山道を下向し、十四代将軍徳川家茂公の所へ輿入れしました。
その際、一行が休憩する御殿が作られた事から、ここを御殿場と呼ぶようになったといいます。
和宮の行列は姫宮としては中山道最大の通行といわれ、四千~五千人にも及ぶ大行列でした。
近隣では十月二十八日の早朝に前日宿泊した太田宿(現美濃加茂市)を出発し、昼には御嶽宿にて休息、
そしてここ御殿場でも再び休息を取った後、大湫宿(現瑞浪市)で宿泊しました。
中山道が別名「姫街道」と呼ばれるのは、こうした姫宮の行列が多く通行した為です。
【現地案内板より】
住所 岐阜県可児郡御嵩町謡坂4929−7 周辺