五代友厚銅像
五代友厚・・・薩摩藩士。実業家。
安政2年(1855年)長崎海軍伝習所に薩摩藩より派遣され第1期生として入校。文久2年(1862年)幕府艦「千歳丸」に水夫として乗り込み上海へ渡航し汽船を購入する。
文久3年(1863年)薩英戦争では寺島宗則と共にイギリスの捕虜となるが、通弁の清水宇三郎の計らいで脱出。裏切り者の烙印を押され暫くは薩摩に帰らず潜伏し、後に許され帰藩。
富国強兵のため欧州に留学生を派遣する上申書を藩に提出し、慶応元年(1865年)薩摩藩遣英使節団の引率者として渡英。
帰国後の慶応2年(1866年)御小納戸奉公格となり長崎小菅に小菅修船場を計画する。
明治元年に新政府の参与職外国事務掛となり、後に外国官権判事、兼大阪府権判事として大阪に赴任し外交処理を行う。
明治2年に退官し実業家として大阪商工会議所、大阪証券取引所、大阪商業講習所、大阪商船、阪堺鉄道などを設立し大阪経済を立て直した。
天保6年(1836年)12月26日誕生。明治18年9月25日死去。
住所 鹿児島県鹿児島市泉町5