祇園寺
久木直次郎・・・水戸藩士。
幼少期の徳川慶喜の馬術指導を担当する。藤田東湖の妹と結婚し義弟となる。
安政元年(1854年)家督を相続。徳川慶篤の側近として戌牛の密勅問題で混乱した藩内を平定しようと尽力。
安政7年(1860年)2月14日、勅書返納容認論として江戸で襲撃され負傷する。
元治元年(1864年)天狗党蜂起では幕府の命に従い行動。天狗党に同調的な態度で降伏勧告を行った為、慶応元年(1865年)免職禁錮処分となる。
文政4年(1821年)誕生。明治28年(1895年)12月2日死去。
朝比奈弥太郎・・・水戸藩士。
元治元年(1864年)3月、天狗党が挙兵すると市川三左衛門らと天狗党壊滅の為、弘道館諸生を中心とする部隊を組織して諸生党として抗争が始まる。
同年8月4日、水戸藩主名代 松平頼徳が水戸城に来るが改革派も混じっていた為に入城を拒否。
幕府に働きかけ天狗党と共に松平頼徳軍も討伐対象とすることに成功すし、天狗党が京都へ向かって行った事により天狗党協力者を弾圧する。
慶応4年(1868年)1月、諸生党に対する追討命令が朝廷から出され賊軍となった為、奥羽越列藩同盟に参加し北越戦争、会津戦争を戦う。
明治元年(1868年)9月22日に会津藩が降伏した為に水戸城を目指すが入城できず、弘道館に立て籠もって天狗党軍と戦い10月2日に退却する。
同年10月6日、天狗党軍の追撃を受け八日市場(現・匝瑳市)で戦い戦死。
明治元年(1868年)10月6日死去。
市川三左衛門・・・水戸藩士。
大番頭、書院番頭などを歴任する。
元治元年(1864年)3月、天狗党が挙兵すると市川三左衛門らと天狗党壊滅の為、弘道館諸生を中心とする部隊を組織して諸生党として抗争が始まる。
同年8月4日、水戸藩主名代 松平頼徳が水戸城に来るが改革派も混じっていた為に入城を拒否。
幕府に働きかけ天狗党と共に松平頼徳軍も討伐対象とすることに成功すし、天狗党が京都へ向かって行った事により天狗党協力者を弾圧する。
慶応4年(1868年)1月、諸生党に対する追討命令が朝廷から出され賊軍となった為、奥羽越列藩同盟に参加し北越戦争、会津戦争を戦う。
明治元年(1868年)9月22日に会津藩が降伏した為に水戸城を目指すが入城できず、弘道館に立て籠もって天狗党軍と戦い10月2日に退却する。
同年10月6日、天狗党軍の追撃を受け八日市場(現・匝瑳市)で潰走。
明治2年(1869年)1月26日、フランス渡航を期して潜伏中に捕縛され、水戸に送られて極刑となる。
文化13年(1816年)4月誕生。明治2年(1869年)4月3日死去。
木村権之衛門・・・水戸藩士。
尊王攘夷派として活動し薩摩藩との連携に奔走する。
井伊直弼暗殺計画(桜田門外の変)に参加し、脱藩して西南諸国を巡る。
後、水戸に戻り無断出奔の罪により謹慎処分となる。文久3年(1863年)に許され弘道館勤務となる。
文政7年(1824年)誕生。文久3年(1863年)3月26日死去。
森山繁之介・・・水戸藩士。
安政6年(1859年)戊午の密勅問題では返納反対を唱え水戸街道長岡宿に屯集する。
その後、脱藩して江戸へ行き安政7年(1860年)3月3日、桜田門外の変に加わり大老 井伊直弼暗殺に成功する。
井伊直弼を討ち取った後、熊本藩邸に自首し、後に一関藩、足利藩と移され死罪となる。
天保6年(1835年)誕生。文久元年(1861年)7月26日死去。
住所 茨城県水戸市八幡町11−69
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諸生党慰霊碑 |
諸生党慰霊碑 由来 |
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諸生党慰霊碑 |
祇園寺 |
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祇園寺 山門 |
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久木直次郎(2012年1月) |
久木直次郎(2012年1月) |
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朝比奈弥太郎(2012年1月) |
朝比奈弥太郎(2012年1月) |
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市川三左衛門(2012年1月) |
市川三左衛門(2012年1月) |
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木村権之衛門(2012年1月) |
木村権之衛門(2012年1月) |
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森山繁之介(2012年1月) |
森山繁之介 左面(2012年1月) |
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森山繁之介(2012年1月) |
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