月照上人追悼碑
幕末激動期の京都で、西郷隆盛は清水寺の僧の月照と出会いました。温厚な人柄と内に秘めた熱い志にひきつけられたのです。
時代は保守派の井伊直弼が大老職につき開明派の弾圧が始まろうとしていました。そんな時に開明藩主島津斉彬が急死。
絶望し殉死しようとする西郷を月照は心を尽くして諭し、思いとどまらせたのです。
1858年(安政5)安政の大獄によって、月照は幕府から追われる身となりました。
西郷は月照を守るため薩摩に迎えようとしたのですが、斉彬亡き後の藩は幕府を恐れ、日向国に追放しようとしたのです。
薩摩で日向国に送るといえば「永送り」といって国境で斬殺することを意味します。日向国に向かう船上で西郷が月照とともに海に身を投じました。
そして、西郷は生き残り、月照は46歳の生涯を閉じました。「大君のためには何か惜しからむ 薩摩の瀬戸に身は沈むとも」ほか一篇の辞世が残されています。
月照の墓は鹿児島市南林寺町の南洲寺境内にあります。
【現地案内板より】
月照・・・僧侶。
大阪の町医者 玉井宗江の長男として生まれ叔父が住職を務めていた京都 清水寺成就院に15歳の時に入る。
天保6年(1835年)住職となる。安政元年(1854年)2月に住職を弟 信海に譲り尊王攘夷運動に身を投じる。
安政5年(1858年)から始まった安政の大獄で幕府から追われる身となり西郷隆盛や有村俊斎に助けられ薩摩に身を隠す。
薩摩藩では幕府の追及を恐れ「日向国送り(日向へ送る途中で斬殺する事)」と決定。
安政5年(1858年)11月16日、西郷隆盛と共に前途を悲観し錦江湾で入水自殺した。西郷隆盛は奇跡的に蘇生。
文化10年(1813年)誕生。安政5年(1858年)11月16日死去。
住所 鹿児島県鹿児島市吉野町10023
|
月照上人追悼之碑 |
月照上人入水の地 |
|
|
|
月照上人入水の地 案内 |
|
|
|