尾張藩二渡御番所跡

元和元年(1615年)裏木曽三ヵ村(加子母、付知、川上)が尾張藩飛地領として尾張徳川家の支配下に入った。
北に飛州、西は苗木藩領、東は信州に接する加子母村には他領からの抜荷と通行人の取調りをする必要が生じた。
そのため尾張藩は享保十一年(1726年)に小郷と二渡に御番所を設置し抜荷守を一人づつ置いた。
二渡御番所は細目村(現在の八百津町)の各務勘兵衛が支配して地元、小屋の栄左衛門が抜荷守に任ぜられた。
二渡御番所の役目は飛州へ入る商人や荷物(莨、楮、茯苓)などを取調べて運上金を徴収する事であった。
二渡御番所は享保十一年から慶応元年(1865年)までの139年続き廃所となり、その後は星霜に埋もれて所在地も不明となっていたが昭和47年に地元の旧家から書記、玄晴の古文書と絵図が発見され、
御番所の位置が判明した。そのため地元有志の中から石碑建立の話が持ち上がり昭和58年4月石碑が建てられた。
【現地案内板より】

住所 岐阜県中津川市加子母2524 周辺
地図
尾張藩二渡御番所跡 尾張藩二渡御番所跡
尾張藩二渡御番所跡 案内 尾張藩二渡御番所跡 案内