栄松院
向山黄村・・・幕臣。旗本 一色真浄の三男として生まれ、向山源太夫の養子となる。千坂莞爾に漢学を学び、のちに昌平坂学問所で学び教授方出役となる。
安政3年(1856年)家督を継ぎ函館奉行支配調役となり、安政6年(1859年)函館奉行支配組頭、万延元年(1860年)奥御右筆、
文久元年(1861年)外国奉行支配組頭、文久3年(1863年)御目付、慶応2年(1866年)外国奉行、同年に駐仏公使となり徳川昭武に随行して渡仏、ナポレオン3世にも拝謁。
慶応3年(1867年)帰国し、明治維新後は徳川慶喜・家達に従い静岡で学問所頭取として力を尽した。
向山黄村が駿府を静岡と命名し、現在も県市名として使われている。学問所が廃校してからは東京に戻り、晩翠吟社を設立して漢詩を創作。
文政9年(1826年)1月13日誕生。明治30年8月12日死去。
住所 東京都文京区向丘2丁目35−7