呑香稲荷神社
旧会津藩士 柴五郎の兄 柴五三郎が仮住まいしていた神社。
明治維新は、斗南藩(旧会津藩)にとって痛恨維新であった。
明治3年斗南藩では士族授産を目途として、当地落の沢を相し松ヶ丘に荒川の渓流を引き、三十余戸の住宅を築造した。
柴五郎(後の陸軍大将)が少年期に家族と共に同年六月田名部に到着、寂寥の落の沢で越冬した。
寒気肌をさし、夜を徹して狐の遠吠えを聞き五郎の厳父佐多蔵は「ここは戦場なるぞ 会津の国辱雪ぐまでは戦場なるぞ」と言ったという。(「会津人柴五郎の遺書」より)
明治4年廃藩置県により、忽然と士族授産は消え失せ士族は四散せざるを得なかった。
斗南士族の胸中には「まこと流罪に他ならず、挙藩流罪という史上かつてなき極刑にあらざるか」という憎悪と怨念が残るのみであった。
(現地案内板より)
住所 青森県むつ市旭町275(むつ市運動公園テニスコート北側)
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呑香稲荷神社 |
風雪の落の沢 案内 |
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