大安寺
福井藩主松平家の永代菩提所として建立された寺で、松平家墓所(千畳敷)には藩祖、3~5、8~11代藩主が祀られている。
毛受洪・・・福井藩重臣。松平春嶽の側用人として国事に奔走。慶応4年(1868年)1月新政府参与職となる。のち帰藩し参政職の重職に就き公儀人を兼職。
明治3年に福井藩権大参事となり、集議院幹事を務めた。
文政8年(1825年)7月17日誕生。明治33年4月19日死去。
笠原白翁・・・福井藩医。福井藩医学校 済世館で漢方を学び、江戸の磯野公道に古医方を学び福井城下で開業。30歳を過ぎてから西洋医学を志し、京都の日野鼎哉に蘭学を修める。
松平春嶽の援助を得て、日野鼎哉と協力し嘉永2年(1849年)に長崎から病痘を入手。藩の庇護の下で除痘館を開設し、「牛痘問答」などをまとめ種痘の普及を図った。
文化6年(1809年)5月10日誕生。明治13年8月23日死去。
橘曙覧・・・歌人。慶応元年(1865年)橘曙覧の学を伝え聞いて松平春嶽が家老の中根雪江を案内に出仕を求めにやってきたが辞退し、松平春嶽より藁屋から志濃夫廼舎と名を改める名誉を得る。
文化9年(1812年)5月誕生。慶応4年(1868年)8月28日死去。
住所 福井県福井市田ノ谷町21−4
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毛受洪 |
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笠原白翁 |
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橘曙覧 |
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松平家墓所 |
松平家墓所 |
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松平家墓所(千畳敷)の由来 |
大安寺 |
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大安寺 案内 |
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