長谷寺

井上馨・・・萩藩士。江戸、京都で国事に奔走し文久3年に英国に留学。英国で下関戦争計画を知り、元治元年に急ぎ帰国し講和に立ち会う。
       元治2年、鴻城軍総督になり俗論政府を討つ。四境戦争では芸州口参謀となり幕府軍と休戦協定を結ぶ。慶応4年1月、維新政府に入り外務、内務、大蔵大臣などを歴任。
       天保6年(1836年)11月28日出生。大正4年9月4日死去。。
岡本監輔・・・探検家。教育家。文久元年江戸に出て北方探検を志し、文久3年・慶応元年の両度にわたり樺太を探検。日本人で初めて樺太を一周する。慶応2年に京都で北門社を興し北方開発の急務を説く。
         明治元年、函館裁判所の開設に伴い、清水谷公考に従い函館に赴任。明治2年に開拓判官、明治3年に樺太開拓使主任となる。
        のち徳島県尋常中学校長、台湾総督府国語学校教授など教育界で活躍。
        天保10年(1839年)10月17日出生、明治37年11月9日死去。
小森駿馬・・・会津藩。小森一貫斎の子。戊辰戦争では松平容保の側用人を務める。
        戊辰戦後、猪苗代謹慎所から東京に護送され1年半の謹慎生活の後、松平容保の嗣子松平容大が家名の再興を許されて斗南に移ることになると謹慎が解かれ、上北郡藤坂村に入居。
        明治6年6月東京に移住、明治44年9月27日死去。

住所 東京都港区西麻布2丁目21−34
地図
井上馨 井上馨
岡本監輔 岡本監輔
小森駿馬 小森一峰
小森家墓所 会津藩墓地
会津藩墓地 長谷寺