澄月寺

戊辰戦争戦死者招魂碑・・・此の招魂碑は明治元年会津戦争の際に戦死せる藩士約三千人を供養し英霊を祭り永く記念する為
             明治23年7月当地会津会員相図り澄月寺境内に建立したるものであります。
             当時大義に殉じ切腹自決せる家老重臣及び彼の有名なる白虎隊員十九名も此の中に含まれているのであります。
             左記は建立の時旧藩主より賜わりたる歌
             戊辰戦死者二十三回忌に「今もなほしたう心はかわらねど はたとせあまり世は過ぎにけり」松平容保
             (現地案内板より)

明治40年11月会津若松市静松寺から改葬した会津藩士 石川又右衛門と妻 石川八重子の墓が建つ。
石川又右衛門・・・会津藩士。安政元年(1854年)6月15日死去
石川八重子・・・石川又右衛門の妻。明治元年8月23日、会津城下に西軍が進攻した事により若松院内で自刃。

住所 青森県十和田市西三番町5−13
地図
戊辰戦争戦死者招魂碑 戊辰戦争戦死者招魂碑 裏面
戊辰戦争戦死者招魂碑 戊辰戦争戦死者招魂碑の由来
石川又右衛門 石川八重子 石川又右衛門 石川八重子 右面
石川又右衛門 石川八重子 左面 石川又右衛門 石川八重子 裏面
石川家墓所 澄月寺