茅根伊予之介

茅根伊予之介・・・水戸藩士。
藤田東湖や会沢正志斎に学び、天保13年(1842年)床机廻に抜擢される。天保14年(1843年)藩校 弘道館が開設され弘道館長となる。
弘化元年(1844年)藩主 徳川斉昭が致仕謹慎処分となり雪冤の奔走する。
嘉永2年(1849年)徳川斉昭の藩政関与が許され茅根伊予之介も復職。
安政元年(1854年)4月に小十人組、弘道館訓導に就き同年12月に郡奉行兼奥右筆頭取となる。
安政5年(1858年)徳川斉昭が安政の大獄により蟄居謹慎となり再び雪冤に奔走するも茅根伊予之介も出頭を命じられ斬首となる。
文政7年(1824年)誕生。安政6年(1859年)8月27日死去。

住所 茨城県水戸市松本町13−34
地図
茅根伊予之介 茅根伊予之介