文武館跡

文武館は安政4年(1857年)に建設された水戸藩の郷校である。
水戸藩第9代藩主 徳川斉昭は天保6年(1835年)に藩政改革の一環として、現在の八幡町に郷校「敬業館」を建設した。
やがて激動する幕末には、水戸藩の郷校再編の中で従来の敬業館とその敷地では規模が不足する事から、敬業館の学問所としての機能に新たに武館機能を加えて山の上へ移し「文武館」と称した。
初代の館守は雨宮鉄三郎であった。
文武館の施設は本館、館守舎、鉄砲場、文庫、井戸等から成っており、文庫の書籍は敬業館から移管されたものである。
敬業館と明らかに異なる点は、鉄砲場が設けられていることで、鉄砲の操練が重視されていた。
藩士ばかりではなく農・商人をはじめ相当の数の人々が学んだといわれているが元治甲子の乱(1864年)でことごとく破壊されてしまった。
【現地案内版より】

住所 茨城県ひたちなか市山ノ上町1−1(那珂湊第一小学校)
地図
文武館跡 文武館跡
文武館跡 案内