尾陽神社
尾張藩第14、17代藩主 徳川慶勝が祀られている。
明治43年(1910年)名古屋開府300年を記念して創建された。
徳川慶勝・・・尾張藩第14・17代藩主。名古屋藩知事。
美濃高須藩主 松平義建の次男。元服後は松平義恕を名乗る。嘉永2年(1849年)尾張藩13代藩主 徳川慶臧が病死し徳川慶恕(後に慶勝)と名を改め14代藩主に就任する。
将軍継嗣問題では一橋慶喜を推し対外強硬論を主張。安政5年(1858年)日米修好通商条約調印では徳川斉昭らと江戸城へ不時登城し違勅調印を大老 井伊直弼に抗議し隠居謹慎処分となる。
文久2年(1862年)罪を許され14代将軍 徳川家茂の補佐役となり文久3年(1863年)尾張藩第16代藩主 徳川義宜の後見役となる。元治元年(1864年)第一次長州征討総督に任命され出兵。
慶応3年(1867年)12月9日、小御所会議に参列し15代将軍 徳川慶喜に辞官納地の通告など朝廷幕府間の周旋を行う。慶応4年(1868年)1月20日に尾張へ戻り朝命により佐幕派を粛清する(青松葉事件)。
他藩に勤王誘引活動を行い朝廷幕府間の戦闘回避に努める。明治3年(1870年)名古屋藩知事に就任。明治8年(1875年)16代 義宜が病死し17代として再度藩主となる。
明治9年(1876年)5月9日、讃岐高松藩主 松平頼聰の次男 松平義礼が婿養子となる。明治13年(1880年)9月27日、徳川義礼に家督相続し隠居する。
文政7年(1824年)3月15日誕生。明治16年(1883年)8月1日死去。
住所 愛知県名古屋市昭和区御器所2丁目9−19
| |
尾陽神社 |
尾陽神社 |
|
 |
 |
| 尾陽神社 案内 |
尾陽神社 案内 |
 |
 |