鮎沢伊太夫
鮎沢伊太夫・・・水戸藩士。
高橋諸往の二男として生まれ鮎沢家の養子となる。兄は高橋多一郎。
弘化元年(1844年)藩主 徳川斉昭が幕命により謹慎処分となると雪冤運動に奔走し鮎沢伊太夫も禁錮処分となる。
徳川斉昭の復権後は勘定奉行を勤める。安政5年(1858年)将軍継嗣問題では一橋慶喜擁立に向けて奔走する。
将軍継嗣問題で徳川斉昭が敗けた後に安政の大獄が始まり鮎沢伊太夫も島流しの刑となるが、
安政7年(1860年)3月3日の桜田門外の変で井伊直弼が暗殺されたことにより島流しの刑が猶予され佐伯藩預りとなり文久2年(1862年)に放免される。
その後、水戸藩に戻り元治元年(1864年)の水戸藩内訌の際には那珂湊で諸生党、幕府軍と戦うも敗れ、武田耕雲斎ら天狗党と西上したが途中で別れ京都に潜伏した。
慶応4年(1868年)藩政回復の勅書を持ち水戸へ戻り市川三左衛門ら諸生党の追討にあたるが明治元年(1868年)10月1日の弘道館戦争で戦死する。
文政7年(1824年)誕生。明治元年(1868年)10月1日死去。
住所 茨城県水戸市松本町13−34
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鮎沢伊太夫(2012年1月) |
鮎沢伊太夫(2012年1月) |
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