有村三兄弟誕生地

安政時代、幕府の大老 井伊直弼の弾圧で多くの者が処刑される安政の大獄がありました。それに対して、水戸藩の有志と結んで井伊大老襲撃の計画に参加したのが雄助と次左衛門の兄弟です。
万延元年(1860年)3月3日の桜田門外の変で、井伊大老を一番先に切り込んでいったのが次左衛門でした。
また、雄助は決行には加わらず、計画の成功を報告に京都に向かいましたが途中で捕えられてしまいました。この事件により、二人は28歳(雄助)23歳(次左衛門)の若さで自害しました。
次左衛門は千葉周作に剣を学んだことでも有名です。
二人の兄である有村俊斎(後の海江田信義)は生麦事件に関与し、新政府では枢密顧問官などを歴任しました。
【現地案内板より】

住所 鹿児島県鹿児島市高麗町13−12
    地図
有村三兄弟誕生地 有村三兄弟 案内
有村三兄弟誕生地