荒木寛畝

荒木寛畝・・・土佐藩御用達絵師。画家。
江戸芝赤羽橋で田中梅春の四男として誕生。天保10年(1839年)荒木寛快に入門し絵の道に進み、嘉永3年(1850年)荒木寛快の養子となる。
安政3年(1856年)秋月藩主黒田長元の席画に参加した事をきっかけに安政6年(1859年)6月、土佐藩御用絵師となり10月に隠居した山内容堂の側近として奥向き一切を管理する。
明治5年(1872年)3月、湯島聖堂の博覧会で油彩画に触れて衝撃を受け、同年6月に容堂が没すると洋画を本格的に学び始める。
明治12年(1879年)元老院の命で明治天皇・昭憲皇太后・英照皇太后の御影制作を任される。明治14年(1881年)内国勧業博覧会へ油画を出品しつつ、翌年には日本画を発表するようになる。
明治17年(1884年)パリ府日本美術縦覧会に「孔雀」「雪中三顧」を出品し、同年の内国絵画共進会で銅賞を受賞。明治23年(1890年)には「孔雀図」が妙技二等賞・宮内庁買上げとなる。
明治26年(1893年)女子高等師範学校で教鞭をとり、翌年には華族女学校でも講義を担当。明治31年(1898年)東京美術学校教授に就任。
明治33年(1900年)帝室技芸員となり、パリ万博で銀牌を受賞した。明治40年(1907年)東京府勧業博覧会で「孔雀図」が金賞を受け、第1回文展では審査員を務める。
天保2年(1831年)6月16日誕生。大正4年(1915年)6月2日死去。

住所 東京都府中市多磨町4丁目628 多磨霊園 16区1種15側
地図
荒木寛畝 荒木寛畝 右面
荒木家墓所