青山延于・延光
青山延于・・・水戸藩士。
通称は量介。立原翠軒に学び、寛政6年(1794年)彰考館雇となる。
文政6年(1823年)江戸の彰考館総裁になり「大日本史」編纂に携わる。
文政9年(1826年)藩主 徳川斉脩の命により「東藩文献志」の編纂を主宰する。
文政12年(1829年)藩主 徳川斉脩が亡くなると家督相続争いが起き、
青山延于は藤田東湖、安島帯刀、会沢正志斎など下士派と組んで徳川斉昭を藩主に就かせた。
天保元年(1830年)彰考館総裁を辞任して水戸に戻り書院番となり、その後は通事、小姓頭を勤める。
天保11年(1840年)藩校 弘道館の初代教授頭取となる。
寛政12年(1800年)3月11日誕生。万延元年(1860年)8月15日死去。
青山延光 ・・・水戸藩士。
通称は量太郎。青山延于の長男。文政7年(1824年)江戸の彰考館に入り、文政10年(1827年)東藩文献志編修掛になる。
天保元年(1830年)水戸勤務となり彰考館総裁代役、後に弘道館教授となる。
天保14年(1843年)家督を継ぎ弘道館教授頭取、彰考館国史編修頭取などを歴任する。
文化4年(1807年)10月誕生。明治3年(1870年)9月死去。
住所 茨城県水戸市松本町13−34
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青山延于・延光(2012年1月) |
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