赤山靭負の墓(桂山寺跡)

赤山靭負は日置島津家12代久風公の次男で兄は家督を継いだ13代久徴公、弟は本藩の家老職を務めて明治維新に活躍した桂久武(歳貞)である。
江戸末期、島津家の家督をめぐって嫡子 斉彬公を望む人達(正義党)と側室お由羅の方を推す人たちが対立抗争した。これがお由羅騒動である。
この事件で正義党の中心人物ん一人であった靭負は切腹を命じられ嘉永3年(1850年)3月4日自決した。彼の志を継いだのが西郷隆盛である。
【現地案内板より】

住所 鹿児島県日置市日吉町日置3240 周辺
    地図
赤山靭負 赤山靭負 案内