赤沼牢屋敷跡

当時、罪人の処刑は吉沼か千束ヶ原で行われていたが、幕末になると藩内の争乱が烈しくなり赤沼で処刑が行われるようになった。
天狗党 武田耕雲斎の家族など300名以上が斬首された。
武田耕雲斎の妻は敦賀で処刑され水戸へ運ばれて来た夫の首を無理に抱かされて斬られ、子の金吾(3才)は獄吏の膝の下に組敷かれ刺殺された。

住所 茨城県水戸市東台2丁目7−19
地図
赤沼牢屋敷跡 霊魂碑
赤沼牢屋敷 案内