赤倉病院跡
明治2年に西郷隆盛、大久保利通の推薦によって英国人医師ウィリアム・ウィリスを校長兼病院長として招き多くの医学生を養成。
明治10年の西南戦争によりウィリアム・ウィリスは鹿児島を去ったが、鹿児島県の近代医学の基礎を作り上げた。
住所 鹿児島県鹿児島市小川町13−13
赤倉病院跡
赤倉病院跡