阿部三圭・阿部泰蔵

阿部三圭・・・医師。吉田藩医。
遠江国敷智郡訶耶村(浜松市三カ日)の儒医 阿部玄岑の長男として誕生。長崎に留学し蘭方医術を学び、帰郷し摩訶耶寺門前で開業。
後に吉田藩に召し出され藩医となり遠州に種痘を普及させる。蘭学算法で新田開発の設計を行う。国学者 石川依平に学び歌人としても知られた。
慶応3年(1867年)5月15日死去。

阿部泰蔵・・・吉田藩士。実業家。
吉田藩医 豊田鉉剛の三男として誕生。万延元年(1860年)阿部三圭の養子となる。小野湖山に漢詩、橋本一斎に蘭学を学び、藩命で江戸に行き蘭学を学ぶ。
慶応4年(1868年)慶應義塾に入学するが、藩命で戊辰戦争に従軍し各地を転戦。
明治3年(1870年)大学南校教授、文部省少教授、麻布区副議長などを経て明治14年(1881年)7月9日に日本初の生命保険会社 明治生命保険を設立する。
大正5年(1916年) 明治生命会長を退き隠居するまで、内閣の調査委員や多くの企業役員など保険、金融、法律分野で多くの要職を務めた。
嘉永2年(1849年)4月27日誕生。大正13年(1924年)10月22日死去。

住所 東京都府中市多磨町4丁目628 多磨霊園 1区1種2側11番
地図
阿部三圭・阿部泰蔵 墓誌
阿部家墓所