調所広郷の像

調所広郷・・・薩摩藩家老。通称は笑左衛門。城下士 川崎主右衛門基明の子として生まれ、天明8年(1788年)に調所清悦の養子となる。
        茶道職として勤めていたが藩主 島津重豪、島津斉興の信任を得て側用人、天保3年(1832年)に家老格、天保9年(1838年)には家老へと累進する。
        弘化3年(1846年)志布志郷地頭となり治める。500万両の借金があり危機的状況であった藩財政であったが、
        商人を脅して借金を250年無利子返済、砂糖の専売制、琉球・中国との密貿易の拡大などあらゆる分野の改革を推し進め藩財政を回復させる。
        お由羅騒動では島津斉彬が洋式化を進め藩財政を悪化させる事を懸念し島津斉興・久光派に与する。
        島津斉彬は海外密貿易の情報を幕府に流し島津斉興・久光派の失脚を図ると嘉永元年(1848年)江戸に出仕した調所広郷は幕府に密貿易の件を糾問される。
        嘉永元年(1848年)12月18日、薩摩藩上屋敷芝藩邸にて急死。密貿易の責任を取り自殺と言われている。
        安永5年(1776年)2月5日誕生。嘉永元年(1849年)12月18日死去。

住所 鹿児島県鹿児島市天保山町22(天保山公園)
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調所広郷の像