全昌寺

小原鉄心・・・大垣藩藩老。大垣藩大参事。全昌寺住職鴻雪爪に師事。天保13年(1842年)城代となり藩校督学。嘉永3年(1850年)軍制、藩政改革に着手する。
        ペリー来航時は藩兵を率いて浦賀へ出兵し、元治元年(1864年)の禁門の変にも出兵。慶応3年(1867年)王政復古の大号令が発せられた際には朝廷より参与に任命。
        鳥羽伏見の戦いでは大垣藩は幕軍として出兵し一時期は賊軍と見なされたが、小原鉄心が帰藩し藩論を帰順に統一し官軍の東山道先鋒として戊辰戦争に参戦した。
        新政府では御親征行幸御用掛、会計官判事を務め、版籍奉還後は大垣藩大参事を務めた。
        文化14年(1817年)11月3日誕生。明治5年4月15日死去。
鴻雪爪・・・全昌寺住職。備後国(広島県)因島に生まれ、6歳で出家。21歳の時に長崎に遊学し高島秋帆らと交わる。大垣藩藩老 小原鉄心と親しく交わり藩政を導いた。
       維新後は帰属して鴻性を称し数学局設置を建議し、神仏合同大教院を設け、御岳教管長を務めた。
       文化11年(1814年)1月1日誕生。明治37年6月18日死去。
高岡夢堂恩典記念碑・・・大垣藩士。菱田毅斎、山鹿素水に学ぶ。勤王家であり大垣藩の藩論を小原鉄心、戸田三弥と共に勤王帰順に統一した。東征出兵では副総督を務めた。
                文化14年(1817年)誕生。明治2年10月3日死去。
市村辰之助・・・新選組隊士。戒名は有隣院一官宗徳居士。慶応3年(1867年)に14歳であった弟 市村鉄之助と共に新選組に入隊。
          慶応4年(1868年)新選組が勝沼で敗戦し流山に転陣する際に新選組を脱退し大垣へ帰郷。結婚し一子 久吉をもうけ海津郡太田村で商人になったと伝わる。
                     明治4年に日野佐藤家に寄居していた市村鉄之助を呼び寄せたが翌年に病死した。明治5年2月7日病死。
九鬼円之助 重隆・・・大垣藩銃隊。明治元年8月25日会津若松で戦死。享年17歳。
川喜多聰助 政寛・・・大垣藩有待兵銃隊指図役。明治元年6月15日越後桂沢で戦死。享年29歳。新潟県長岡市 安楽寺にも墓が建つ。
六十二人墓・・・戊辰戦争で亡くなった大垣藩士を祀っている。境内に建立されている。

住所 岐阜県大垣市船町2丁目21
          地図
小原鉄心 新墓 小原鉄心 新墓
小原鉄心 旧墓 小原鉄心 贈位碑
小原鉄心 旧墓
鴻雪爪 鴻雪爪
高岡夢堂恩典記念碑 高岡夢堂恩典記念碑
市村辰之助 市村辰之助
市村辰之助
九鬼円之助 九鬼円之助 左面
九鬼円之助
川喜多聰助 川喜多聰助 左面
川喜多聰助
六十二人墓 六十二人墓
全昌寺 鴻雪爪・小原鉄心の墓 案内