禅幢寺

竹中重明・・・旗本で交代寄合の竹中家11代当主。文久元年(1861年)に隠居し菁莪堂を開設するなど師弟教育に尽力する。
        明治維新の際には12代当主 竹中重固が逆賊の扱いを受けた為に勘当し新政府に謝罪。明治3年竹中黄山と改名。明治4年に北海道に渡り入植する。後に美濃岩手に戻る。
        文政2年(1819年)誕生。明治24年8月14日死去。
長原武・・・漢学を神田柳渓、武道を国井化月坊に学ぶ。江戸にて山鹿素水の塾で兵学を学び、素水塾では吉田松陰、宮部鼎蔵と共に素水門下の三秀と称された。
       吉田松陰は「長原はすこぶる読書の力もこれあり面白く候。しかし気力はとぼしく御座候。」と評価している。
       文政6年(1823年)誕生。
花村尚禮・・・菁莪堂で学び、後に江戸へ出て武術を天心独明流 山本竹鳳塾で学び、学問を佐藤一斎に学ぶ。後に美濃岩手に戻り菁莪堂の教授となる。
        維新後は三観嶺雪渓と号し美濃岩手で俳諧の中心人物として活躍。
        文政10年(1827年)1月19日誕生。

住所 岐阜県不破郡垂井町岩手1046
          地図
竹中重明 竹中重明 右面
竹中重明 左面 竹中重明
長原武 長原武
花村尚禮 花村尚禮
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