吉田松陰
吉田松陰・・・長州藩士。教育者。
長州藩士 杉百合之助の次男として生まれ天保5年(1834年)叔父の吉田大助の養子となる。養父より山鹿流兵学を学び、のち松下村塾で叔父の玉木文之進に教わる。
9歳で明倫館兵学師範となり、11歳で藩主への御前講義を務め才能を認められた。
長沼流兵学も修め嘉永3年(1850年)から九州と江戸を遊学し西洋兵学や山鹿流兵学を学び、嘉永5年(1852年)には脱藩して東北を遊学し、各地の教育、軍備や民情を視察した。
嘉永6年(1853年)ペリー来航に衝撃を受け海外渡航を志す。
嘉永7年(1854年)ペリーが再来した際に下田で小舟を盗んで黒船に接近し密航を試みるが失敗し伝馬町牢屋敷に投獄され、萩に送還され野山獄に入る。
安政2年(1855年)杉家で禁固処分となり安政4年(1857年)松下村塾を引継ぐ。安政5年(1858年)幕府の無勅許条約締結に激怒し、老中間部詮勝暗殺を主張し藩から危険視され再び幽囚される。
安政6年(1859年)梅田雲浜との関係を理由に安政の大獄で捕縛され、評定所で自ら老中暗殺計画を告白し斬首刑となる。
文政13年(1830年)8月4日誕生。安政6年(1859年)10月27日死去。
住所 東京都荒川区南千住5丁目33−13 小塚原回向院
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吉田松陰の墓 |
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