養国寺

竹内保徳・・・幕臣。
勘定吟味役、台場普請掛、米使応接掛などを経て安政元年(1854年)に箱館奉行に就任。安政2年(1855年)多くの病人を乗せたフランス軍艦が治療を求めて箱館に来航。
竹内保徳は独断で上陸を許可して多くの人命を救い、またアイヌ人に対しても文化を尊重しニシン漁の発展に尽くすなど尽力する。
文久元年(1861年)勘定奉行兼外国奉行となり、12月に文久遣欧使節正使として欧州へ渡航し開港延期の交渉を成功させた。
文久2年(1862年)帰国後に勘定奉行を辞任し、元治元年(1864年)西ノ丸留守居、慶応元年(1865年)横浜製鉄御用引受取扱を務める。
文化4年(1807年)誕生。慶応3年(1867年)2月1日死去。

住所 東京都新宿区愛住町21
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竹内保徳の墓 竹内保徳の墓
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