洋学館跡地

安政3年(1856年)に大野藩によって洋学館が開設された。
緒方洪庵の適塾で塾頭を務めた伊藤慎蔵を教授として大野に招き、当時としては最先端の蘭学研究を行いオランダ語の翻訳書や専門書の出版なども行う。
洋学館には越前各藩からの留学生や九州、四国など各藩より留学生が遊学してきたが、適塾で学び更に伊藤慎蔵に学びたいと大野に来た者もいた。
緒方洪庵の子である緒方平三(準)と緒方四郎(孝)は、緒方洪庵の命で大聖寺藩医 渡辺卯三郎に漢学を教わっていたが、伊藤慎蔵の洋学館開設を聞き付け大野に留学に来たが、
緒方洪庵は「若輩之身を以て大胆不敵之至不届至極」と激怒して二人に勘当を申し付けた(後日、復縁している)
塾則には、「学問の目的は実用を旨とする事」と謳われ研究結果が、種痘実施や北蝦夷探検、大野丸の建造・航海などに運用されていった。

住所 福井県大野市城町10−1(広瀬病院)、碑は広瀬病院南側の結ステーションに建っています。
地図
洋学館跡地 大野藩洋学館跡の碑
伊藤慎蔵先生顕彰碑 幕末の大野藩に遊学した人々