養福寺

元治元年(1864年)の天狗党の乱を治める命を受けて出動し、
治める事が出来ずに自刃した宍戸藩主 松平頼徳と宍戸藩士62名の元治甲子之変殉難碑が建てられている。

鈴木暘庵・・・宍戸藩医。
医師 鈴木本栄の子として生まれ、加倉井砂山の日新塾で医学の基礎を5年間学び、その後に江戸へ出て医学を修める。
兄事していた奥野介九郎が水戸藩の尊攘派に同調して捕縛され、勤王志士の糾合に努める為に京都へ出たが病気で帰郷。
文政6年(1823年)誕生。万延元年(1860年)4月12日死去。

鈴木重嗣・・・宍戸藩士。医師。宍戸町長。
宍戸藩医 鈴木暘庵の長男として誕生。宍戸藩校脩徳館の舎長を務める。
明治12年(1879年)福島県に出仕し、明治16年(1883年)に退職し帰郷。
明治17年(1884年)戸長に就任し、明治22年(1889年)大原村長に当選。明治25年(1892年)宍戸町議員となる。
明治26年(1893年)宍戸町長となり大正11年(1922年)まで務める。
弘化3年(1846年)3月誕生。大正13年(1924年)4月13日死去。

住所 茨城県笠間市大田町324
地図
元治甲子之変殉難碑 元治甲子之変殉難碑 裏面
元治甲子之変殉難碑 鈴木重嗣の碑
鈴木暘庵 鈴木暘庵
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