梁川星厳邸跡

梁川星厳が8年間暮らし「鴨沂小隠」と称した邸宅跡地。

梁川星厳・・・漢詩人。
文化5年(1808年)山本北山の奚疑塾で漢詩、儒学や経史などを学び北山門十哲と称される。
文化14年(1817年)故郷である美濃国安八郡曽根村に私塾 梨花村草舎を開き、文政3年(1820年)に門下生であり又従兄妹にあたる紅蘭と結婚。
妻 紅蘭と共に日本各地を見聞し天保5年(1834年)江戸で漢詩塾 玉池吟社を開き佐久間象山や藤田東湖などと交流する。
弘化2年(1845年)大垣に戻り、弘化3年(1846年)京都に移り住み梅田雲浜、頼三樹三郎、西郷隆盛、吉田松陰、橋本左内等と交流し尊王攘夷を唱える。
多くの勤王志士と交わり、勤王詩人としての名声も高かった為、安政の大獄の捕縛対象者となっていたが捕縛前にコレラで急死する。
寛政元年(1789年)6月10日誕生。安政5年(1858年)9月2日病死。

住所 京都府京都市左京区東丸太町7
地図
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梁川星厳邸跡