橘曙覧 藁屋跡

橘曙覧が足羽山の黄金舎から嘉永元年(1848年)37歳の時に転居し藁屋と称した。
安政元年(1854年)に大火のため藁屋が消失し、安政3年(1856年)に藁屋を再建。
橘曙覧の学を伝え聞いて慶応元年(1865年)に松平春嶽が家老の中根雪江を案内に出仕を求めにやってきたが辞退し、松平春嶽より藁屋から志濃夫廼舎と名を改める名誉を得る。
橘曙覧の妻が約20年間のもらい水の労苦から開放されたことを喜んだ「袖干の井跡」がある。

住所 福井県福井市照手2丁目5−13 周辺
地図
橘曙覧の宅跡 碑 橘曙覧 歌碑
袖干の井 袖干の井 案内
橘曙覧 藁屋跡